答えがたった一つしかない数学を学ぶのは、何のため?
「なんで数学なんて勉強しなきゃならないんだろう?」
学生の時、だれもが一度は考えたことがあると思います。
私も、そう思いました。
子どもからこの質問をされて、答えに困る親御さんたちも多いと思います(笑)。
今回は、そんな話です(若干ネタばれ含みます)。
C.M.B. 22巻 Op.65 夏期補講授業より
答えがたった一つしかない数学を学ぶのは、何のため?
この物語の舞台は、夏休みのとある高校。
主人公は、一見幼そうに見えますがとても頭の良い『森羅』という名前の高校生です。
授業をだらけている学生たちに対して、(社会科の)先生Aが「世の中、数学や物理みたいに正解が一つしかないことばかりじゃない!いろんな正解のある学問こそ、人生には大事なんだ」と嫌みを言います。
ところが、この先生Aは、この後、とある事故を起こしてしまい、あろうことか、その事故を隠蔽しようとしました。
森羅たちの活躍で、結局、この事件の真相が暴かれましたが、この事故の直接的な加害者が先生Aであることと同時に、事故のきっかけとなったのは、生徒Bの不注意であったことも発覚しました。
生徒Bは、自分の不注意が原因になったことに気づき、「みんな・・・ごめん。(先生も、)すみませんでした・・・」と、己の非を認め、頭を下げます。
しかし、それを見た先生Aは、「いい加減にしろよ貴様ら!!(お前が悪いんじゃないか!)」と、自分の隠蔽工作を棚に上げて、生徒Bを責め立てます。
そこで森羅は、こんな言葉でその先生Aに諭します。
「正解が一つしかない勉強をする理由はね、自分が間違えることを知るためにやるんだよ」
正解がたった一つしかない問題でも、ひとは間違える。
学生時代、すべてのテストでずっと満点だったという人はおそらくいません。
みんなどこかで間違えます。
むしろ、全教科で満点を目指すような熱心な勉強をしてきた人ほど、ただの一問も間違えないことの難しさを経験から実感し、どんなに頑張っても、自分が間違えることがある、という事実を素直に受け入れられると思います。
大切なのは、間違えないことではなく、たったひとつしか答えがない問題でさえも、自分は間違える、ということを知ること。
そして、間違いを犯したら、それを認め、素直に反省し、謝罪する勇気を持つこと。
それができてはじめて、他人が間違えることに、寛容になれること。
それを学ぶために、正解が一つしかない勉強をするのだと、森羅は諭したのです。
C.M.B.とQ.E.D.
このC.M.B.と姉妹本であるQ.E.D.は、漫画形式ですが、寓話のようにはっと気づかされる内容や、深く考えさせられるエピソードがたくさんあり、感性豊かな高校生にこそ読んでもらいたいなと思います。
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