人生の終わりについて、考えた日のはなし。

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shiro-mameshibaです。

 

日経もダウも惨憺たる有様ですが、申し訳ないのですが、今日の話は投資にまったく関係ありません。

 

 

 

それは、私に、『人生の終わりの日』について教えてくれた、ある老夫婦のお話です。

 

小さな町の病院での風景

 

それはもう10年近く前、私が小児科医として駆け出しの頃、人口数万人のとある地方都市に赴任していた頃のことです。

 

 

その地域には、総合病院が町に一つしなかく、小児科医が2人しか在籍していないような、とても小さな町でした。

 

医師の数自体が少ないため、(都会では信じられないかもしれませんが)、その病院の夜間の当直は、内科や外科、小児科の区別なく、当直医が全て診なければなりません。

 

 

高齢化が進むその地域では、毎晩1~3人の高齢者のお看取りをするのが日常のような救急外来の風景でした。

 

小児科医としても未熟な私は、毎日泣きそうになりながら、不慣れな成人患者さんを診る日々でした。

 

 

そんな日々も数ヶ月が過ぎ、ようやく、そんな救急診療にも慣れてきた頃、1本の救急要請が入りました。

 

ある老夫婦の話

 

時間は夜中の2時ころだったと思います。

 

先にお一人をお見送りして、ようやく布団に入ろうとしたところで、救急車からの電話が入りました。

 

 

「80台男性。CPA( Cardiopulmonary arrest:心肺停止)の状態です。」

 

 

 

要請を受け入れ、一度外したコンタクトレンズを入れ直しながら、

 

その頃の自分は、「今から対応して、お見送りすると、5時までには寝れるかな。朝までに2時間か。」と、冷静に計算出来てしまうほどに、ある意味、お看取りするのに慣れてしまっていました。

 

 

心が疲弊しきっていたのかもしれません。

 

 

救急車を受け入れると、搬送される患者さんの側に、同じく70~80代とお見受けする奥様が付添いをされていました。

 

 

私は、現在、心肺停止状態であること、これから全力で蘇生処置を行わせていただくこと、しかし、現状では難しいかもしれませんということも含めて、その奥様にご説明しました。

 

 

その奥様は、少し曲がった背中をぴんと伸ばしてから、「分かりました。よろしくお願いします。」と、涙をお流しになりながら、しっかりと頭を下げられました。

 

 

人生の終わりの日

 

 

ドラマや小説とは違い、実際の現場では、CPAで搬送された患者さんのおおよそ99%近くが、そのままお看取りになられます。

 

 

その患者さんも、蘇生処置を行いましたが、やはりお戻りになることはありませんでした。

 

 

私は、蘇生処置を一旦看護師に任せ、奥様に現状をご説明しました。

 

 

搬送され、蘇生処置を行いましたが、残念ながら反応がみられないこと、今後も蘇生処置を行っても、残念ながら反応する期待はかなり難しいと思われること、ご家族が希望されれば引き続き蘇生処置を継続すること、ご希望されなければこのまま蘇生を終了することを、できるだけ分かりやすく、心がけてお伝えしました。

 

 

すると、奥様は、またとても丁寧にお辞儀をされ、「分かりました。もう十分です。ありがとうございました。」と、ゆっくりと、頭を下げられました。

 

 

 

それから、患者さんの身支度を整えて、奥様との最期のお時間になりました。

 

 

 

「触っても良いですか?」と、問う奥様に、「どうぞ、手を握ってあげてください。」と答えました。

 

 

すると、その奥様は、右手でしっかりと、旦那さまの手を握り、左手で、少し禿げかかった旦那様の頭をなでながら、

 

 

 

「ありがとう。

 

ありがとう。

 

おじいちゃんのおかげで、楽しい人生だったよ・・・・。

 

 

ありがとう。

 

ありがとう・・・・。」

 

 

 

そう言いながら、涙を流されながら、ゆっくり、ゆっくり、その旦那さまの頭を、何度も何度も、愛おしそうに、撫でていらっしゃいました。

 

 

人生を生きること

 

 

私は、そのお姿を拝見しながら、涙が止まりませんでした。

 

 

このお二人は、きっと、お互いに、与えながら、支えながら、手をつなぎながら、温かい、素晴らしい人生を送られてこられたのだろうな、と思いました。

 

 

そのお二人の、最期のお時間に、きっと、ヒトの人生の価値の全てが凝縮されているように感じました。

 

 

 

 

心が摩耗し、機械作業のように、日々の診療を送っていた自分を、心から反省しました。

 

 

そして、自分自身も、こんな最期を送れるような、生涯の伴侶がほしいと、心から願いました。

 

 

人生最期の日に、心から愛し、愛されたヒトに、見送られ、または見送ることができたなら、きっと、自分の人生に満足できる。

 

 

 

そんな、私にとって、なによりも大切なことを、あのご夫婦に教えていただいたのです。

 

 

それから

 

 

その日から、これまで、日々の忙しさや出会いの機会の少なさ、生来の奥手であった性格や、自分の容姿の自信のなさなどを言い訳に、何も行動しなかった自分自身を顧みて、何よりも、自分の人生のために、自分が責任を持って、生涯のパートナーを探すことを決めました。

 

 

それから約3年、何十人もの女性と出会い、時には振られて絶望し、時には自分からお断りしてまた心惑い、これまで避けて経験してこなかった恋愛の苦悩を30代になって初めて何度も体験した末に、ようやく、いまの妻と出会いました。

 

 

自分のような人間のそばにいてくれる優しい彼女に、本当に、心から感謝する毎日です。

 

 

これから何十年も先までには、きっと多くの困難もあるのだと思いますが、今現在、あの時、恋愛というとても困難な道から逃げなくて良かったと、本当に、そう思います。

 

 

そして、自分の人生の指針を教えてくれたあの老夫婦に、心から感謝しております。

 

 

むすびに

 

 

実は、ブログを始めたきっかけは、いつかこの話を書こうと思っていたからです。

 

 

投資では、最終リターンが全てです。

 

 

しかしそれは、適切な投資戦略と、継続的な投資という、過程があってのものです。

 

 

 

それは、人生も同じです。

 

 

最終リターンだけではなく、それまでの過程こそが大切です。

 

 

自分にとってのゴールがどこか、それは人それぞれで違います。

 

 

それは、決して経済的な側面だけではないはずです。

 

 

自分にとって、何が人生の最終リターンになりうるのか?

  

 

 

きちんと、自分にとってのゴールを見据えて、それに向かって、日々の継続的な努力こそが、最終的なリターンを得ることにつながるのだと思います。

 

 

 

 

 

あの日、私の人生の目標を教えてくれた、あのご夫婦に、心からの感謝を込めて、そして深い哀悼の意を表し、今日は終了とさせていただきます。

 

 

 

お目汚し、失礼しました。